BACK

重松 理 の「コト」

  • 記事表示:
  •  [ 詳細 /
  • 一覧]

22 ページ中 1 ページ目(計:110件) 1/ 2/ 3/ 4/ 5/ 6/ 7/ 8/ 9/ 10/ ...22


1990年7月に1号店「渋谷店」をオープンし、それから福岡店、名古屋店、大分店、
二子玉川店、旭川店、柏店など各地方への店舗オープンが続きました。

しかし、全く儲かっていなかったんです。赤字で大変でした。

会社設立から3年目の1992年に、やっと原宿にフラッグシップの「原宿本店」ができて、
オリジナルの家具までやって、幅広く展開して、
第一段階の自分たちの目的は果たしたんですよね。

ただ、売れなかった。
それが大変でした。


1号店渋谷の立地は8階まで建つ条件の物件だったんですが、
早く完成させるために2階建てのビルを作りました。

(株)ワールドの子会社としてユナイテッドアローズを設立し、
第1号店の「渋谷店」は、(株)ワールドが持っている土地を借りて、ビルを建てたんですね。


(株)ワールドという親会社はいましたけど、自由度が無かったわけではないんです。
前のBEAMSの時も、オーナーと話をして物事を決めるという作業をやっていました。
組織が大きくなれば大きくなるほど、その担当者とか、その上司の人とか、
そういった人たちと話をしても全然らちが明かないので、
その当時の親会社社長に直接連絡して、直接会いに行っていたんです。

当時も、(株)ワールドの社内の人は、組織を超えて社長に直接会いに行くなんて
なかなかできなかったと思いますけれど、
我々は別会社だから、直接交渉するってことが出来たんです。


(株)ワールドは、これからヤング向けや小売事業に取り組もうと考えていた時期で、
我々のそういった情報も必要だったみたいですよ。

ですから、フットワークはべらぼうに軽く立ち回ってましたかったですね。
そういうの、得意だったんです。


ユナイテッドアローズ第1号店「渋谷店」では、最初からオリジナル企画のモノを作っていました。

店舗に並ぶ割合としては、3割くらいは自社企画商品、7割がバイイングでした。
当時は私も自らバイイングに携わっていました。
メンズ・ウィメンズ・ドレス・カジュアルチームなど分かれて担当者が居て、
頻繁に海外へ買い付けに行ってましたね。

非常に忙しい時期でしたが、プライベートまで全て仕事にあてていた、ということはなかったです。
仕事帰りというのは多かったですけれど、息を抜く時は抜く。
睡眠時間もね、けっこう寝るんですよ。
6時間以上は必ず睡眠をとっていましたね。


「マリナ・ド・ブルボン」の運営代行業務は、
欧米からくるライフスタイル型の小売業ですから、
我々が作るライフスタイル型のストアには十分良い影響を与えてくれました。

バイイングもそうですし、品ぞろえもそうですし。
特にバイイングは、全然違う視点を持っていたので、学ぶことが多かったですね。

しかしそれだけでは、結局人のお店をただ日本で紹介する作業だったので、
我々の趣旨とは異なるんですね。

そこで、自分たちの企業理念を持ったショップを作ろうと。
設立から1年目で、急きょ渋谷の明治通りにビルを作って、
1990年7月に、ユナイテッドアローズ第1号店をオープンさせました。


1989年のユナイテッドアローズ設立から、実は1年間はUAの店舗は無かったんです。
我々が「衣食住遊知」のスタンダードと考えるような構想はあったんですが
店ができていなかった。
具体的にその構想を表現する場として、原宿本店ができあがるまでは、
ちょうど丸3年かかりました。

創業当初は、
当時の筆頭株主だった(株)ワールドがパリの人気ブティック「マリナ・ド・ブルボン」と提携し、
海外初出店の日本での立ち上げを運営代行する業務から始めました。

「マリナ・ド・ブルボン」というと日本国内では紅茶で有名ですが、
もともとはフランスのライフスタイル提案型の小売業なんですね。
そのお店の企画とオペレーション、販売代行からです。

ユナイテッドアローズ設立から渋谷の1号店オープンまでの1年間は
そういう業務をやって凌いだ訳ですね。

22 ページ中 1 ページ目(計:110件) 1/ 2/ 3/ 4/ 5/ 6/ 7/ 8/ 9/ 10/ ...22


COPYRIGHT (C) STARTTODAY CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.サイト内の文章、画像などの著作物は株式会社スタートトゥデイに属します。文章・写真などの複製、無断転載を禁止します。